琴 |
| 福山邦楽器製造業協同組合 | |||
| 福山地方は、古くから琴、三弦、尺八が盛んであり、葛原勾当をはじめ吉沢検校など優れた琴の演奏者を輩出し、又数多くの琴職人もいたといわれています。 江戸末期の嘉永年間(1850年頃)、菅波甚七氏が福山ことの製造技術、技法を確立したといわれています。以来、その技術が受け継がれ、明治末期には、伝統の技法を生かしながら作業工程を改善して分業化を進め、より精緻な製造技法が確立され、今日における福山の琴づくりの基礎がつくられました。 製品は、手づくりの良さが随所にあふれ、音色が冴え、長年の使用に耐える優秀な琴として有名で、全国の7割以上を生産する全国第一位の産地として発展しています。 |
桐箱 |
| 府中桐箱協同組合 | |||
| 江戸末期、桐タンスや桐下駄の産地であった府中地方で、桐端材を利用して婦人用の船枕を製造したのが、府中桐箱のはじまりです。 明治初期、浦上利右衛門氏が京阪神から結納箱、従軍記章箱等の注文を得て生産の増大を図り、明治後半には桐箱の優雅さと防湿特性が広く認められて、府中の特産として確固たる地位を築き、大正から昭和初期にかけて、業界の組織化などその育成発展の努力が行われました。 戦後は、技術改良、流れ作業による大量生産方式も進み、全国の百貨店に販路の開拓を行い呉服、貴金属、掛軸等を入れる箱として、また贈答用の箱として盛んに使用され、現在では全国第一位の生産量を誇っています。 |
い草製品 |
| 広島県藺業協会 | |||
| 備後表は天文年間(約450年前)、沼隈町山南地方に野生していた藺草を水田に栽培し、これを製織したものが始まりと言われており、慶長年間(約400年前)、藩の産業として奨励されたため、備後表産地としての基盤が形成されました。 藩政時代を通じて実施された公用表の検収制度は、明治以降も検査制度として引き継がれ、組合を設立して畳表に証糸を織り込むなど、品質保証に努めた結果が今日の隆盛の基礎をなしています。 表皮が厚く、粒揃、光沢がある上、青味を帯びた銀白色の美しい藺草を厳選して使用した当地の畳表は、全国的に名声を博しており、「備後表」の名称で広く愛用されています。 |
菓子 |
| 広島県東部菓子商工業協同組合 | |||
| 備後地方は、中国地方屈指の菓子所として広く知られており、その歴史は古く、明治の初め既に菓子業組合が存在しています。 その後、主原料である砂糖の輸入増大に伴い地場産業として確固たる地位を占め、明治40年頃には、「唐松」、「木の葉」、「アラレ吹寄」といった菓子が四国、山陰地方に盛んに移出されました。戦時中、生産活動が一時中断したものの、戦後は砂糖の輸入が増大するとともに再び活発となり、生産技術の向上と相まって飛躍的に発展しています。 製品は和洋生菓子、煎餅、焼菓子を主体としていますが、消費者嗜好の変化に対応して多様な品種の菓子類が製造されて、消費者の好評を得ています。 |
府中味噌 |
| 府中味噌協同組合 | |||
| 農産物の集散地であった府中地方では、遠くの元和年間(1616年頃)から、芦田川流域の良質米と県北の白芽大豆を原料とした白味噌の自家製造が盛んでありました。 当地方は、交通の要衝であったことから、山陽路の名産として買われ、さらには備後特産の絣、畳表等の取引に付随した贈答用に使用され、全国的に広まったといわれています。 以来、温暖な気候風土、良質の原料、醸造用水などの恵まれた立地条件と、優秀な技術者の研さんにより、独特な風味の味噌が造られ順調に発展してきました。 最近では、健康食品として脚光を浴びており、とりわけ、四季のめぐみを受け長期間発酵熟成された甘口系を主体とする「府中みそ」は、全国で愛用されています。 |





