備後織物 |
| 広島県織物構造改善工業組合 | |||
| 広島県の織物業は県の東部一帯(福山市・深安郡・芦品郡・府中市)に集中し、いわゆる「備後機業地」を形成しています。 この地方は古くから織物がさかんで、江戸時代、藩主水野公の奨励によって綿の栽培と縞木綿の製織が盛んでした。 産地として発展したのは明治中期以降のことで、この頃になると業界の組織化も進んで、明治23年には備後織物同業組合が組織され、以来今日の「広島県織物構造改善工業組合」に至るまで、100有余年の歴史を有しています。 現在、この産地では藍染めの技術を活かした綿デニムを中心に、綿白生地、合繊織物を生産しており、特に綿デニムは全国の50%のシェアを占め、日本一のデニム産地として発展しております。 |
備後絣 |
| 備後絣協同組合 | |||
| 備後絣は、江戸時代の末、福山市芦田町に住む富田久三郎氏が、麦藁屋根の押し鉾竹がすすで汚れて白と黒とに染っているのにヒントを得、木綿糸をつむぎ、手で括り、正藍で染めて、絣織物を作ったのが始まりで、今からおよそ130年前、文久絣と名付けて販売されました。 明治初年には品質も改良され、当時その美しさ、珍しさは多くの人々の注目を浴び、備後絣の名称で大阪をはじめ全国に販路を広げることができました。 時の流れの中にあって、絣の単純素朴な色彩、デザインは常に新しい息吹きを感じさせ、素材も綿、ウール等で、今日では和服に限らず、気軽に着れる洋服の素材としても利用されています。 |
被服 |
| 広島県アパレル工業組合 | |||
| 芦品郡新市地区に足踏みミシンが導入されたのが始まりで、昭和10年頃から生活様式が、変化するにつれて、洋服の需要が高まるなかで、業者が急増するとともに、動力ミシンの普及により縫製業としての産地が形成されました。 戦時中、厳格な規格を要求される軍服を生産したことが、今日、ワーキングウェアの生産額では、全国の60%以上を占める一大産地に成長した土台となっております。 現在では、カジュアルウェアやジーンズ、婦人服、子供服など多種・多様なアイテムの衣服が生産され、全国でも有数のアパレル産地になっております。 今日、 広島県のアパレル業界は、グローバリゼーションやQR(クイック・レスポンス)への対応など新しい課題が山積しておりますが、他産地に負けない競争力を身 に付け、更に大きく飛躍しようとしております。 |
婦人子供服 |
| 福山婦人子供服工業協同組合 | |||
| 福山における婦人子供服製造業は、戦後衣料品の販売業者が、家庭内職に出す方法で縫製加工を始めたのが発端といわれています。 その後、デザイン、裁断、見本縫、製品仕上を自家工場で行う形態へと移行し、さらに最近では、新技術を積極的に導入して、全工程を自家工場で行う形態が主流となりつつあります。 昭和40年代以降、ファッション化の傾向が顕著となり、業界ではデザイン、品質の一層の向上に努め、製品も従来の主要販売先であった九州地方から近畿、関東方面にも移出されるようになりました。 組合を中心に高度な技術力の涵養に努めた結果、現在では年間生産高約400億円に達する産地として発展しています。 |
縫製品 |
| 広島県輸出縫製品工業協同組合 | |||
| 輸出縫製業は昭和30年、1ドルブラウスブームが到来して大口注文が殺到したため、内需品メーカーが輸出向け縫製 品を手掛けたのが始まりです。以来、対米向け輸出は順調に推移して参りましたが、昭和60年のG5(先進5ヶ国蔵相会議)を機にドル高是正がおこなわれ、 円高に歯止めがきかなくなり、対米向けの商談は一気に減少してしまいました。 この時を境に組合員企業は、内需向けに転換し協同研究を重ねながら、今日では国内の一流ブランドを扱うメーカーに成長致しております。 また、衣料品全般にわたって当組合で生産する事が出来ますので、アパレル業界から注目を集めています。 |
撚糸 |
| 広島県撚糸工業組合 | |||
| 備後地方における撚糸業の起りは、明治末期から大正初期にかけてといわれています。大正5年頃から、広幅織物とし て綿小倉の生産が開始され、これを機に撚糸加工が急速に発展しました。 昭和初期に、新規・高級織物製造に、変り撚糸や新規撚糸が必要とされたため、撚糸業 者の中に新式の撚糸機を設置するものが現われました。 戦中・戦後一時衰退したものの、昭和30年代には合繊時代を迎え、合繊短撚糸の生産が急速な伸展をみ て、現在では8割以上の生産割合を示しています。 現在、業界をあげて新しいビジョンのもとに、設備の適正化に努めるとともに、高付加価値商品に特化した産地づくりがなされています。 |
織物染色 |
| 広島県織染工業協同組合 | |||
| 染色整理は絣用の糸を染色する絣糸染、絣以外の一般糸染、布の染色加工をする布染整理、布の仕上加工の織物整理に大別されます。 糸染は絣の発生とともに起り、昔は専ら織布工場の一工程として行われ、織物業の発展につれ分業化されてきました。 染色業は明治末期に出現し、専業者の増加が みられたのは大正中期以降のことで、大正末期に至り、はじめて自生地に浸染、捺染する布染が開始され、以来、染色技術の向上と相まって布染は急速に普及しました。 昭和に入り商社からの受注が増大し、これを機に綿織物を主体とした布染が盛んとなり、戦後は新素材の開発にあわせて新技術の導入が行われ、その製品は高級品として好評を得ており、アフリカ、インド等輸出向製品及び内需向製品として伸展しています。 |







